コンサート あいちトリエンナーレ舞台芸術公募プログラム 2016年9月24日(土) 祈る人、そして世界の調和へ
2016年9月24日(土) 開演18:45 開場18:00(プロローグは18:15より演奏)
愛知県芸術劇場コンサートホール 全自由席2000円
チケット取り扱い 二宮音楽事務所 052-505-0151 チケットぴあ、市内各プレイガイド
お問い合わせ 二宮音楽事務所 052-505-0151
チラシはこちらからダウンロードできます。
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あいちトリエンナーレ2016 舞台芸術公募プログラム
Homo Orans et Harmonia Mundi 〜祈る人、そして世界の調和へ〜
パイプオルガンとピアノ、歌、朗読、舞踊による夕べ
出演:
松本喜臣(朗読、劇団シアター・ウィークエンド)
伊藤充子(ピアノ、名古屋女子大学教授)
岡眞里子(ソプラノ、名古屋女子大学講師)
眞崎雅子(舞踊、名古屋女子大学特任講師)
倉田梓(舞踊、名古屋女子大学助教)
豊永洵子(舞踊、名古屋女子大学助教)
吉田文(パイプオルガン、名古屋女子大学講師)
名古屋グレゴリオ聖歌を歌う会
委嘱作品作曲:トーマス・マイヤー=フィービッヒ(国立音楽大学名誉教授、愛知県在住)
序文執筆:林和利(名古屋女子大学教授)
作品展示:渋谷寿(名古屋女子大学教授)
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プログラム
プロローグ(開場中に演奏)
ジョーン・ケージ(1912-1992)ORGAN²/ASLSP
第一章 旅するもの
I アボリジニの祈り (Sop.& Piano)
トーマス・マイヤー=フィービッヒ(1949*)Quadruplum I “We are all visitors”
II キリエ・エレイソン (Gregorian Chant & Organ)
グレゴリオ聖歌 Kyrie eleison – グレゴリオ聖歌進句 – Kyrie fons bonitatis – ルター賛美歌 Kyrie, Gott, Vater in Ewigkeit ヨハン・ゼバスティアン・バッハ Kyrie, Gott, Vater in Ewigkeit
III マヤ・シャーマンのことば (Piano, Organ & Dance)
トーマス・マイヤー=フィービッヒ Quadruplum II “時間とは生命の瞬間の連続であり、世界に生命を与えるものだ。”
第二章 生きとし生けるもの
IV 森羅万象 (Piano, Organ, Sop., Narr. & Dance )
トーマス・マイヤー=フィービッヒ Quadruplum III 森羅万象(委嘱新作)
やまと歌は 人の心を種として よろづの言の葉とぞなれりける(仮名序)
はじまりに かしこいものござる(ギュツラフ・山本音吉訳ヨハネによる福音書)
創造主は、だれの耳にも聞こえず、動かない存在だった。(アステカ神話)
V 星・月・太陽 (Organ solo)
ルイ・ヴィエルヌ(1870-1937)「24の幻想曲」より
月の光〜太陽への賛歌
VI Musica universalis – 天球の音楽 – (Narr. solo)
坪内逍遥訳「ヴェニスの商人」より
森鴎外訳「ファウスト」より「天上の序言」
第三章 永遠なるもの
VII ウパニシャッド (Sop. & Organ)
トーマス・マイヤー=フィービッヒ Quadruplum IV “unus”
ここ、下にいる人間の中にある精神と、あそこ、太陽の中にある精神は、
まことはただ一つの精神であって、そのほかのものは存在しない。(「ウパニシャッド」より)
VIII 昇天 (Organ & Dance)
オリヴィエ・メシアン(1908-1992) 「キリストの昇天」より
キリストの栄光を自らのものとした魂の歓喜の高まり
IX 永遠なるもの (Organ solo)
ヨハン・ゼバスティアン・バッハ 「フーガの技法」より「コントラプンクトゥスXIV」
(トーマス・ユングによる完成補作版、日本初演)
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あいちトリエンナーレ2016の公募事業として提案したプログラムが、何とコンサートホールでは2枠限りのうちの1公演として採用されました!
愛知県芸術劇場コンサートホールに備え付けられている、世界に誇れる素晴らしいパイプオルガンを軸として、ピアノ、歌、朗読、舞踊とコラボレーションをします。
あいちトリエンナーレ2016のモットー「虹のキャラバンサライ」に基づいて、私ならパイプオルガンを使ってどんなプログラムが提示できるのだろうと考えた内容です。
人間は、創造をしながら時空を超えた歴史の旅を続けてきた。
創造とは、それまでになかったものを探求してきた結果ではないだろうか。
人間の歴史は、祈りの歴史でもある。
見えないもの、その存在を証明できないものへ、自分たちがいまここに存在している意味を
問いかけ続けてきたのではないだろうか。
人間の創造の歴史は、祈ることより生まれたのではないか。
そして、わたしたちの祈りは、これからどこへ向かうのだろうか。
こんなことをプログラムを考える上で念頭に置きました。
プログラムのコンセプトについて
1. 形式
あいちトリエンナーレ2016のシンボルデザインが9つの線から成り立っているように、1つの舞台芸術を9つの部分に分けました。9の部分はそれぞれ3つのまとまりとなり、1つの章を成り立たせている。3という数字はキリスト教の中では三位一体を象徴する聖なる数字でもあり、神の永遠性を示す「過去・現在・未来」という時の区分も現しています。
2. プログラムの内容
「祈る」ということは、どこへ誰へ向けられたものだとしても、目に見えないものへの語りかけであり、問いかけであり、願いを投げかけるものです。また、人間は目に見えないものを想像し、願望することによって創造を繰り返してきました。
歴史を通して続けられてきた人間の心の旅は創造の旅でもあり、これからも続けられていくものだと考えられます。この考えからタイトルの前半「Homo Orans=祈る人」をつけました。
そして、パイプオルガンは「祈り」の楽器です。祈りの楽器と、やはり祈りから発祥した舞踊、歌を音楽的な要素の中心に据えてプログラムを構成しました。
開場後に演奏されるジョーン・ケージの「ASLSP」はAs slow as possible(できるだけ遅く)という言葉の略で、明確な演奏時間は指定されていませんが、現在ドイツ・ハルバーシュタットの旧教会内で演奏されているプロジェクトは2640年に演奏終了が予定されています。本公演に先立ちこの作品を30分ほどで演奏することにより、来場者に「時間」という観念について意識をしていただけるかなと思い、選曲しました。
「第一章 旅するもの」では、「私たちは全てこの世で旅をしているものである」というアボリジニの言葉(I)に続き、ギリシャ時代に王を讃える歓呼の呼びかけであった「キリエ・エレイソン」がキリスト教の原始的な祈りとなった「連祷」、その後通常文の一部となった複雑なメリスマを持つ「キリエ」、「キリエ」のメリスマにラテン語のテキストをつけることにより成立した「進句(Tropus)」、ルターが進句をドイツ語化したことから創られた讃美歌、そしてその讃美歌を定旋律として作曲されたバッハの「キリエ」を続けて演奏することにより、時代とともに旅をして変化をしてきた祈りの形を提示したいと思います。(II)。
IIIの「時間とは生命の瞬間の連続であり、世界に生命を与えるものだ。」という言葉は第一章の「時間の旅」から第二章でテーマとなる「生きるもの」の創造へともつながります。
「第二章 生きとし生けるもの」では委嘱新作を「森羅万象」(IV)と題しました。
仮名序では、森羅万象は歌を歌っている、即ち可視界と不可視界の両方が歌いつつ存在していると述べています。歌は響きであり、響きはことばでもあります。
ヨハネによる福音の冒頭には「はじめにみことばがあった。」と、「ことば=響き」による世界の創世が示されています。今回は、三河出身の船乗りで、漂流後マカオでドイツ人宣教師ギュツラフと共に聖書を翻訳し、尾張弁もところどころにみられる最古の日本語聖書版を、松本喜臣さんの朗読でお聴きいただきます。松本喜臣さんはライフワークとして山本音吉の生涯を劇化されたものを演じていらっしゃいます他、日本聖書協会発行のギュツラフ版聖書の朗読録音もされています。
そして世界は響きで創造され、森羅万象が響いているように、生きとし生きるものの体内の原子や分子も決まったサイクルで振動し、響きあっています。しかしピタゴラスやケプラーが提唱したように、協和する音程比率の関係は太陽からそれぞれの惑星までの距離の比に当てはまり、惑星自身も音を発し共和しあっているとされてもいます。ここで目を地上から天体に向けてみたく、ヴィエルヌの作品群を選曲しました。(V)。
VIでは明治時代にイギリス文学とドイツ文学を翻訳した坪内逍遥と森鴎外の訳で、ゲーテとシェイクスピアが文学において言及した「天球の音楽」を松本喜臣氏の朗読で演じていただきます。
「第三章 永遠なるもの」の冒頭ではインド思想の土台であるウパニシャッドより人間(可視)の存在と天の存在(不可視)を結びつける言葉を引用して新作のテキストとしました(VII)。
また、死者のうちから復活し、人として昇天し、栄光のうちに神の右に座するとされているキリストは、人と神の仲介者として位置づけられます。そのキリストの栄光を自らのものとした魂の喜びを表すメシアンの作品(VIII)は舞踊と共演することにより、視覚的にも可視と不可視の存在を近づけて感じていただけるのではないでしょうか。
私たちが心の中に内なる響きを知り、生きとし生けるものとの響き合いを感じ取り、そして地上だけではなく見えないものとの調和が起こるそこに、全ての存在が響きあって存在できる「世界の調和」、があり得るのではないか、また、それは「銀河文明の一員」という意味であることでもあり得るのではないかと考え、タイトルの後半を「Harmonia Mundi=世界の調和へ」としました。
最後に演奏される「フーガの技法」は、対位法作品の中でもとりわけ卓越した技法(知性)と芸術的価値(感性)を備えている作品集ですが、人類が残した音楽芸術作品最高峰の一つでもあると言えるでしょう。
しかしその中でも最後の4重フーガが未完成のままとなっています。未完成であるということは、作曲者の意図が永遠に不明のままであるということですが、後世の人間が想像力を結集して創造を続ける挑戦の機会が永遠にあるということでもあります。今回は、未完のままで演奏を終えることも考えましたが、先人が残した遺産を私たちが受け継ぎ次の世代へつなげるという意味も込めて、現在のところ入手可能な完成補作版の中でバッハの理論と音楽言語に最も近く理にかなっていると考えられるトーマス・ユング版を演奏し、これからも続くであろう人類の創造の旅について思いを馳せてもらいたいと考えています。
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民族、宗教、時空の枠を超越して、音楽・ことば・踊り・創造物と被創造物が創り出す響きのうちに、ミクロコスモスである人間とマクロコスモスである自然や宇宙との調和を、ほんの一瞬の断面でも感じていただけるよう、出演者・関係者一同心より願っています。